
「鈴谷に、お任せぇっ!!」
気合一閃。隣にいた鈴谷の放った砲撃が演習相手の旗艦を過たず直撃し、大破させた。
「ま、当然の結果じゃん? 鈴谷ホメられて伸びるタイプなんです。うーんとホメてね!!」
帰投後、えへんと胸を張って提督に自慢する鈴谷。どーよ熊野! と続いて自分にじゃれついて来るのはいつもの流れだ。
姉妹である自分が言うのもなんであるが、鈴谷は良く出来た姉である。容姿端麗、武勲千万、文武両道。
品行方正……は若干怪しくはあるが、それが彼女の人懐っこさと相俟って、かえって人望を集める因ともなっているように思われる。
かくいう自分も負けてはいない。現状、胸部装甲の厚みにおいてはわずかながら鈴谷の後塵を拝す恥辱に甘んじてはいるが(断固として言っておくが、あくまでも、現状は! である)、自分達はお互いに最も信頼し合い、安心して背中を任せ合える最高のコンビであるはずだ。
だけど、彼女が自らのことを『鈴谷』と表す度に、心の中がざわりと波を立てる。それは多分、幼かった頃のあの出来事のせい。記憶の中にいる幼い彼女は、自分のことを『鈴谷』とは呼ばなかった。
幼い頃から、年齢、性別、立場を問わず、鈴谷の周りには人が絶えなかった。利発で、美人で、愛らしく、誰にも隔意を持たぬ人懐っこさ。
課せられる期待を軽やかに超えて見せ、注がれる羨望の眼差しに涼しげに笑顔を返す。悠然と、粛々と、皆が焦がれる高みへの道を、鈴谷は舞うみたいに歩いていた。
一方の自分はというと、よく大人に怒られていたことを覚えている。姉妹の鈴谷はあんなに優秀なのに、何故お前は同じように出来ないのか。グズめ、ノロマめ、と、いつも鈴谷と比較されては責められていた。焦燥感に急かされながら必死で努力しても結果はついて来ず、その叱責はますます苛烈になって行った。
「熊野だって、がんばってるもん……鈴谷みたいに上手に出来なくても、がんばってるのに……」
そう泣いて訴えたこともあった。しかし誰も耳を傾けてはくれなくて、それどころか、自分のことを名前で呼ぶなんてみっともない。そんな情けない心持ちだからダメなんだ! と、最早難癖でしかない罵声を浴びせられただけだった。
泣いて、泣いて、泣き疲れて。鈴谷はその度に、欠かすこと無く自分の側にいてくれた。
――私は私。熊野は熊野なのにね。
今とは違う一人称だった彼女は、そう言ってずっと、自分を抱きしめていてくれたものだった。
でもある日の事。とうとう限界を迎えた自分は、力任せに鈴谷を突き飛ばし、呆然としている彼女にあらん限りの恨み言を浴びせた。
自分が苦しいのは、全部鈴谷のせいだ。鈴谷がいるせいで、こんなに毎日辛い目に遭っているのだ。大人に怒られるのも、周囲に馬鹿にされるのも、そんなみっともない自分が大嫌いなのも、全部全部鈴谷のせいだ。鈴谷なんか嫌い。大っ嫌い!!
床に転んだままの鈴谷は、激昂する自分にそっと手を伸ばしかけ、やめ、おろおろと視線を泳がせながら、何か言おうと言葉を探しているみたいだった。
そして、ポツリと
――ホントに、嫌い……
怯えるみたいに、そう言った。
――嫌い? 熊野……私のこと、ホントに嫌い……なのかな……。
初めて見る鈴谷の弱々しさに驚くあまり、自分はその問いかけに答えを返すことができなかった。
それをどう受け取ったのか、そっか、と呟いたきり、鈴谷は俯いてしまった。
やがて、痛いくらいの静寂の中に嗚咽が混じった。
その泣き声はあまりにもてらい無く、子供っぽくて、咄嗟には鈴谷が泣いているのだと理解できなかった程だ。
唖然とする自分に、鈴谷はしゃくりあげながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝っていた。
そこでようやく、自分がどんな酷いことをしたのか理解した。
泣きじゃくる鈴谷に駆け寄って、抱きしめて、自分も箍が外れたみたいに泣き叫んだ。
お互いにごめんなさいと謝りながら、一晩中、二人で一緒に泣き続けていた。
それから少しして、鈴谷と一緒の教導訓練があった。その時の教官は特に露骨な人間で、鈴谷もいるのをいいことに、殊更自分を叱責した。
砲撃訓練の際、上手く的に命中させられない自分を嘲笑った彼は、手本を見せてやれ、と鈴谷を指名した。鈴谷は振り返って、見たことも無いいたずらっ子な笑みを浮かべて見せた。
位置に着き、砲を構えたと思いきや
――あ、手が滑った!!
とわざとらしく言うや否や、教官の足下に射撃した。訓練用の模擬弾で、しかも当時の自分達が扱えたのは砲というのもおこがましいちっぽけなものだったけれど、それでも衝撃は相当なものだ。
転倒して、みっともなく尻餅をついて呆然としている教官に、鈴谷は常のキラキラした笑顔に透けて見える侮蔑をまぶして
――ごめんなさい、大丈夫でしたか。
しゃあしゃあと言ってのけた。鈴谷の意図を理解した教官は、頬を紅潮させ、唇を戦慄かせて鈴谷を責めた。しかし
――手が滑っただけです。
――わざとじゃありません。
――むしろ教官の資質に疑問があります。
――うっさい大本営に言いつけるぞこのド腐れ。
のらりくらり言い逃れるどころか反転して攻勢に転じた挙句、教官に関する醜聞をあれこれ並べ立て始めたものだから教官としては堪らない。最早判別不能な罵詈雑言を喚き散らすだけになった相手を、鈴谷は心底軽蔑しきった目で見て、溜息一つ持っていた砲を放り捨てた。
――やーめた。
唐突な流れに唖然として停止する教官。
――付き合ってらんない。私は……鈴谷は鈴谷のやりたいようにやる!
口をパクパクさせる相手を無視して、鈴谷は自分の手を取って駆け出した。
――行こう、熊野!
そしてそれ以来、鈴谷の一人称は『鈴谷』のままだ。
この一件以降、鈴谷は変わった。淑やかでさえあった言動は奔放になり、優秀さはそのままに扱いにくい困った存在になった。
ただ、人を引き付ける力はずっと強くなったように思う。言うなら月のように穏やかだった光り方が、太陽のそれに変わったようなものだ。
自分も、それまでの必死さなんて生温く感じるほどに努力して、今では鈴谷と肩を並べられるまでになった。でも、あの日あの時、鈴谷が約束された将来よりも自分の手を選び取ってからずっと。
まるで自分の弱さを肩代わりしてくれたかのように生まれた『鈴谷』という一人称は、いつもほんの少しの負い目を自分に感じさせる。傲慢な考えだとは分かっていても、何か未だに、あの一人称には意味があって、それが鈴谷を縛ってはいまいかという、臆病で、卑屈で、切実な不安。
「鈴谷」
「ん? 何さ熊野」
食堂に向かって並んで歩く鈴谷に声をかける。大好物のカレーを食べようと鼻歌が混じるほどにご機嫌だった鈴谷は、思いつめた表情の自分を見て不思議そうな顔をしている。
「どうかした? あ、今日の日替わりのメニュー?」
「いえその、貴女のその鈴谷っていう一人称についてなんですけど……」
「うん?」
「辛くは、ありませんの……?」
ようやく絞り出した問いかけに、鈴谷はしばしポカンとして、首をひねり、うーむと腕を組んで
「……熱でもあんの?」
「ありません! そうではなくて、貴女が自分のことを鈴谷と呼ぶ理由について……」
「……ごめん熊野。ちょっとまだよくわかんない」
要領を得ていない会話にええいと意気を奮って直球に問う。
「ですから、何か理由があるのではなくて? 貴女がずっと、その一人称を使い続けることに」
鈴谷はなおも得心いかぬ顔をしていたが、こちらの様子が必死であることに気付いたのか、理由……理由ねえ……と数秒考え、
「可愛いからじゃん?」
思わず力一杯ずっこけてしまった。
「お、熊野新しい芸風?」
「違いますわよ! 可愛いから、ですって?」
「うん」
「それだけ!?」
「え、可愛くない?」
「とても可愛いんですけどそれ以外に何かこう、大変重大な理由とかあったりしませんの!?」
「いやー別に無いなあ」
あっはっはーと軽く言われて、覚悟を決めていた分、流石に力尽きて崩れ落ちる。
「え、何? 何だったの今の流れ」
「訊かないで下さい忘れて下さいませ。愚かなわたくしの一人相撲だったんですわ」
さめざめと自分の情けなさに涙する。みっともなくて顔を上げられないでいると、頭上から鈴谷の苦笑が聞こえた。
「またなんか勝手に思い詰めてたわけ? その辺ホント変わんないね」
「ほっといてくださいませ……」
やれやれと溜息を吐いて、ねえ熊野、と鈴谷。
「鈴谷さんはね、楽しく生きて行きたいわけよ」
「……存じておりますわ」
一瞬いじける自分への苦言かと思ったが、鈴谷の声はどこか遠く、宣誓のように聞こえる。
「今さ、こうやって、いい仲間に囲まれて、上官にも恵まれて……そりゃ戦いは厳しいけどさ、鈴谷はすごく幸せなんです。熊野だってそうじゃない?」
「それは……もちろんそうです」
この鎮守府は居心地が良い。誰も彼もが一生懸命で、優しくて、強い。自分が欲しいと願った全てが揃った、満ち足りて温かい、自分達の居場所。
「せっかくこんな良い所にいるんだからさ、どうせだったらもっともっと楽しく生きて行きたい。最高の仲間たちと一緒に、最高の毎日を送っていきたい。その時にはさ、もちろん熊野に一緒にいて欲しい」
「……なっ……何ですの、プロポーズでもされてますのわたくし!?」
赤面した顔を伏せて隠したままの自分。そりゃ良いねえと鈴谷は笑い、
「鈴谷は鈴谷のやりたいようにやる」
あの日と同じ言葉を、口にした。
ゆるゆると顔を上げる。眩しくて大切な、あの笑顔と目が合った。
「仲間を守る。敵を倒す。提督を勝たせる。毎日楽しく生きて行く。そしてこれも肝心。熊野を大切にする」
ボンッとまた顔が真っ赤になってしまった。
「だからなんでさっきから愛の告白みたいに……」
「似たようなもんだからじゃん? 鈴谷にとっては熊野が一番大事なんだから。だからさ熊野。いい? 鈴谷はね、熊野が悲しんだりするようなこと、苦しんだりするようなことを、絶対やりたくありません」
ストンと、何か落ちるみたいに心が軽くなる。やや呆然とする自分を、鈴谷は全部わかってるみたいな優しい眼差しで見つめながらおーけー? と続け
「だから熊野は、そこに関しては一切悩まなくていいわけ。お互い困ったことがあって心配し合ったりするのは良いと思う。でも、どちらかがどちらかの重荷になったりするのはやだよね。熊野はそういうこと、凄い気にするって鈴谷はちゃんとわかってるから。だから、うん。そうだね」
鈴谷は胸を張ってふふーんと不敵に笑う。
「もうちょい鈴谷さんを信じなさい。何か思うことがあったら、鈴谷はさっさと熊野に言うよ。鈴谷の言うことやることに、熊野に対して何か含むものなんか絶対無いんだから」
大きく息を吸って心を落ち着かせた。油断したらこぼれてしまいそうなものをじっと耐えて、ようやく震えそうに言葉を紡ぐ。
「鈴谷」
「ん?」
「……ありがとう」
どーいたしまして、と笑う鈴谷の差し出した手を握って立ち上がる。
「あーお腹減った! さっさと行こう熊野。カレーが待ってる!」
「はいはい。今日は変なこと言ったお詫びにおごって差し上げますわ」
「マジで!? 熊野大好き!!」
じゃれ合いながら、再び並んで歩き出す。
きっとこれからもずっと、自分たちはこうして歩んでいくのだろう。等しく、仲間たちと共に笑い合いながら。
食堂の方から食事時の喧騒が聞こえてくる。届くカレーの香りに、鈴谷がテンションを上げ始めた。
「カレーカレー! 熊野、大盛りでも良い?」
「ええ、仰せのままに」
そして一緒に、仲間たちの集う食堂へと、二人で一歩踏み入れた。