
「は~いみんな注目~。部活会議始めるよー」
教壇に立った少女が教室を見回して宣言する。思い思いの場所に陣取った部員一同がこちらに視線を向けていることを確認して、少女ー天羽ヶ丘高校郷土愛好会部長・永久島 弾(はずむ)は、蝶のようなリボンを揺らしながら、黒板に文字を記していく。
「よし……と」
一つうなずき、チョークの粉をパンパンと払いながら弾がクルリと振り返る。
「本日の議題はこちら!」
バンと示された黒板に書かれた一文を見て、一同がビシリと硬直する。
そこには無駄に流麗な字でこう書かれていた。
『郷土愛好会、廃部の危機について』
一拍置いて、教室を揺るがす悲鳴が上がった。
「うええええええええ!?」
「え、ちょ、本当なんですか!?」
生真面目そうな男子生徒がイスを蹴立てて立ち上がる。一年の植田 憲彦だ。
「聞いてないですよ!?」
「言ってないもん!」
「悠長な……」
あっけらかんと言い放つ弾に、憲彦の後ろに座っていた二年の荒尾 信幸が天を仰ぐ。
「弾はいっつもこんなもん」
更にその横、机に伏したままつまらなさそうに自らの銀髪をいじるのは、同じく二年の羽桜=クーレフィール=オルカである。弾はジトリとクーレフィールの方を睨み
「何ようクー、部長の私に文句ある?」
「おや弾、貴女こそ私に意見するの?」
四つに分け結んだ髪をパンと弾き、クーレフィールが悪魔めいた笑みを浮かべる。
「いいのよ別に。弾が子供のころに(ピー)を(ピー)して(ピ~~~~)した話とかを、傷ついたショックでうっかり全校に垂れ流してしまうかもしれないけれど」
フフフ楽しみね? と笑うクーレフィールに、みギャーと弾は叫び
「すいませんでしたあっ」
とりあえず、力いっぱい頭を下げた。
「うう、トキちゃん、クーがひどいよう。親友なのに幼馴染なのに~」
弾が騒乱に混ざれずオドオドしていた一年の鴇篠 絆にすがりつく。絆はよしよしと弾を撫でながら
「あの……何で……廃部……なんですか?」
小さく、しかし耳触りの良い絆の声に問われ、ガバチョと弾が跳ね起きる。
「何やってるかわかんないような部にあげる予算は無いって会長が言うの! ひどいよね!?」
「あー、あのお堅い会長か」
信幸が一年ほど前に転入してきた厳格な少女を思い浮かべる。
「とりあえず、当座の活動費用が要るね、弾」
「何? なんか良いアイディアでもある?」
期待の眼差しにコクリと頷いたクーレフィールが、黙って教室の隅を指差す。そこには弾が命よりも大事にしているオートバイがあって
「あれを売ろう」
弾が叫ぶ。
「私に死ねと言うのか!」
「納得いかない!」
乗り込んで来て、バンバン机を叩いて抗議する弾に、天羽ヶ丘高校生徒会長・妻夫木 椎奈は、手元の書類から視線を移しもせずに厳然と言い放つ。
「納得なさらなくても結構です。そもそも端から貴女の感情なんて考慮してません」
にべも無い言い方にカッとなる弾。
「私達はちゃんと活動してる!」
「ほう、それはオカルト新聞みたいなこれのことですか」
椎奈が引き出しから大判の印刷物を取り出して見せる。
「郷土愛好会会報。内容は、河童が可愛いとか泉のほとりにある枯れない桜だとか……ああ、この小人が云々というのは映画か何かの話ですか」
すごく残念な物を見るような視線にも弾は怯まない。机に身を乗り出して食って掛かる。
「カッパが居たら悪いか! めちゃめちゃ可愛いんだから何なら今から会いに行く!?」
「結構です。居もしないものに会いに行けるほど暇ではありません。とにかく当生徒会はこのようなものに予算を用意して差し上げるつもりはありません。お引き取りを」
「頭来た! 頭来たあの会長~!」
川べりの岩に腰掛け、足を流れに浸しながら弾が喚いた。差し出されたきゅうりをひったくるようにしてバリバリと齧りながら、傍らにいる友人に延々と愚痴を吐く。
「でねでね、こ~んな釣り上がった目ーしてね!」
傍らのそれは、うんうんと頷きながら並んできゅうりをポリポリしている。
「『貴女の感情なんて、考慮してません』だって! む~か~つ~く~!!」
まるで緑色の卵に短い手足をつけたような愛嬌ある姿形。黒豆のような瞳が二つ、くちばしの上で瞬いている。
「見てろ! 絶対に撤回させてやるんだから!」
頭にはシャンプーハットのような皿があり、背中には頷きに合わせて揺れる大きな甲羅。
「そうか、わかってくれるか友よー!」
ひしと抱きつく弾をあやす手には、明らかな水かきがあった。
クワーっと一声鳴いたその異容。河童、と俗にそれを呼ぶ。
「というわけで、協力してほしいんだ。あの堅物会長、カッパに会わせてギャフンと言わす!」
気合十分な弾に対し、しかし河童は無理~とばかりに手をひらひらと振った。
「何で何でー!? ……え、もうすぐ大雨が来てこの川が増水するの? で危ないからしばらく巣に籠る?」
そういえば台風が近づいているとか言ってたような…
「そっかあ。じゃあねじゃあね、出てきたら絶対よろしくね?」
クワッと河童が力強く頷いた。弾もよしと頷きを返し
「さてそれじゃあ、それまでに打てる手を打っておこうかな」
「で、打つ手がこれなわけ?」
白い目で見るクーレフィールに、しっ、と弾が指を立てる。
二人並んで潜んでいるのは裏門近くの茂みの中で、弾の手には愛用のデジイチがある。
「私が掴んだ情報でね、あの会長が、コソコソとこの辺りで何かしてるのが頻繁に目撃されてるの。そこであわよくば待ち伏せして弱味を掴んで廃部の件を撤回させる。完璧!」
「……弾は馬鹿だなあ」
「何か言った?」
「弾は救いようの無い馬鹿だなあって言った」
「そこは何も言ってないってごまかそうよ! っていうか二回目なんか増えたぁ!!」
「はいはい。ほら来たみたいだよ」
ファインダー越しに、周囲をキョロキョロ警戒しながら現れた椎奈が見える。
二人して息を詰めて窺っていると、椎奈がしゃがみ込んで、持っていたビニール袋から何かを取り出した。
シャッターチャンス! と構えた二人は、続いて見た光景に、口を菱形にして硬直した。
「まさか、猫とはな……」
信幸が弾達の撮ってきた写真をまじまじと見る。たくさんの子猫と、その子猫達に餌をやる椎奈が写っている。
「無いわー、今時ベタ過ぎてむしろ貴重だよこんな展開。恥ずかしくないのか!」
やり場の無いもどかしさに、机に突っ伏した弾がやや錯乱気味な文句を垂れている。
「まあ、見られたくない姿っていうなら、隠れて餌やってる時点でそうなんでしょうから、弱味っちゃ弱味ですよねこれ」
憲彦の言葉に続いて、並んで写真を見ていた絆が弾を向いて
「どう……するんですか……?」
「どうするの弾?」
弾はむすっとして写真を見る。そこにある、他人に見せない椎奈の笑みをじっと睨み
「……ふんだ」
力任せに、まとめてゴミ箱に放り込んだ。
「そして結局他の策は無いわけ?」
「………」
無言のままの弾に、クーレフィールが溜息を吐く。
あれから三日。台風が過ぎ行くのを言い訳にするかのように、弾達は何の手も打てないでいた。今日も何一つ進展を得ないまま、下校時刻に追われるように部室を出る。
激しい雨の過ぎた地面はまだ所々に水溜りがあってぬかるんでおり、空の雲はまだ内に含む雨を吐き出し足りないかのように重く立ち込めている。台風一過、とはいかないようだ。
オートバイを押す弾を先頭にぞろぞろと行く。と、ふと信幸が立ち止まり
「あれ、会長だ」
言われて振り向いた視界の端を椎奈がよぎる。
「……何かあったのかな」
椎奈の表情は焦りのそれだ。視線は低く、弾達にも気づかないほどの動揺が透ける。
弾達は互いに頷きを交わすと、走り去っていく椎奈の後を追った。
「……いない……っ」
椎奈は呟き、必死にあらゆる隙間を探した。しかしどれだけ呼んでも袋を鳴らしても、目当ての相手は出て来ない。
「どうして…朝見たときにはみんないたのに…」
雨が再び降り始めるが、椎奈はそんなことには構っていられない。もう一度最初から探しなおそうと踵を返しかけた瞬間
「会長!」
呼ばれた声に、崩れそうになっていた表情を無理矢理引締め向き直る。こちらに走って来る弾達を認め、椎奈は冷徹な声音をもって言い放つ。
「何のご用でしょうか。もう下校時刻を過ぎていますが」
「何かあったの……」
思わずピクリと片眉が上がる。
「何もありませんが……」
「子猫がいなくなったのね?」
椎奈はハッと息を呑み
「どうしてそれを……」
その時、その場の全員が声を聴いた。か細く甲高いその声は、裏門の側に停まっていた軽トラックの荷台からのもので
「あっ……」
椎奈の視線が荷台から顔を出している子猫に気づいた。トラックが走りだし、即座に反応したのはクーレフィールと弾だった。
「弾っ!」
「合点!」
二人が飛び乗ったオートバイが、唸りをあげて裏門から飛び出していく。
「もっとスピード!!」
「わかってる! あの軽トラ、この路面状況で馬鹿じゃないの!?」
雨降りで滑りやすくなっている道路を、暴走と呼ぶにふさわしい速度でトラックが駆け抜ける。
「ごめん、頑張ってSW-1!」
跨った愛機に謝りながらスロットルを開けるが、距離が縮まらない。不安定な動きのトラックの荷台、必死にしがみつく白い一匹の子猫が見える。
「この先のカーブで……っ!」
前方、川に突き当たってT字路になっている。ここが勝負所と集中する弾。しかし
「ちょっと…ちょっとちょっと嘘でしょ!?」
トラックが減速しない。声にならない悲鳴を上げる弾の目の前で、横転した軽トラがガードレールに突っ込んだ。
「猫が……っ!」
その拍子に、子猫が荷台から放り出された。スローモーションのように子猫が川に向かって吸い込まれ
「クー、ハンドルパス!!」
「なっ!?」
追って跳んだ弾が空中で子猫を掴み
「弾っ!」
大きな水柱を上げて、荒れ狂う濁流に落下した。
「くっ!」
制動をかけてスタンドを蹴り立てて、クーレフィールが川を探す。
いつもは緩やかな流れは台風による豪雨で逆巻く激流になっており、どこにも弾の姿は見えない。
「バカ……バカバカバカっ! 弾ー!!」
背後でタクシーが停まり、信幸たちが降りてくる。信幸がすぐさま警察に連絡するのを見て、クーレフィールはオートバイに駆け寄った。弾が下流に流されているであろうと思い、キーをひねってエンジンを再始動させる。
瞬間、突如うねった川が蛇のように持ち上がったかと思うと、何かをこちらに吐き出した。それは身を折って咳き込む弾とその腕に抱かれた白い子猫で
「え、何が……」
何が起こったのかわからない一同が、恐る恐る川を覗き込む。
一緒に覗き込んだ椎奈は、目を見開いてそれを見た。ザバっと対岸に上がり、こちらに手を上げて応えるのは、甲羅を背負った緑の卵。
「カッパー!!」
ワッと皆が歓声を上げる。その時漸く雨が上がり、東の空に星が輝き始めていた。
数日後、快復した弾は少しダルそうに校門を抜けた。泥水を大量に飲んだため、大事を取って入院していたので、すっかり体が鈍ってしまっている。そのせいで祖母からバイク通学禁止令が出たのだが、スパルタにもほどがあると思う。病み上がりなのに。
入院中はそれなりに大変だった。入れ代わり立ち代わり来てくれる見舞い客に対応したり、一日中ずっといるクーレフィールにひたすら嫌味を言われたり、でもきっと心配してくれてるんだろうなと思って「ツンデレだよね! わかってるよクー、愛してる!」と言ってみて「……は?」と絶対零度の視線で返され枕を涙で濡らしたり……
あれ、入院してるのに、私なんで心身共にボロボロになって行くんだろう、と首を傾げる毎日だった。
行く弾の足取りは重い。それは体調面の不調だけによるものではなくて
「結局、廃部の問題解決してない……」
自分がいなかった間も、何らかの進展は無かったとクーレフィールからは聞いている。
「どうしよ~」
がっくりうなだれる弾の前に影が立った。見上げるとそこに、風に踊る黒髪と鋭い理知的な黒瞳。
椎奈だった。
いきなりの登場に、弾の体に緊張が走る。欠かさず見舞いに来てくれてはいたが、あの日以来まともに会話をしていない。
怒られる!? と何故か条件反射的にビクつく弾。しかし
「申し訳ありませんでした」
椎奈は深々と頭を下げた。やや険の取れた眼差しが、唖然とする弾をうつむきがちに見る。調子狂うなあと弾は思い、と同時
(これが素なんだろうね)
猫のことといい、見舞いのことといい、悪い子ではないのはもうわかっている。ようするに不器用で頑固で真面目すぎる転入生が、一年経っても溶け込めていなかっただけという、ただそれだけの話だろう。
友達になれるかも、とも思う。だが廃部の件だけは退くわけにはいかない。
弾は長々と謝罪と感謝を述べ始めた椎奈に向かい
「廃部の件、撤回させていただきます」
「へ? ホントに!?」
しかし先手を打たれて急停止。
「はい。河童が本当にいると知った以上、あれは私が至らずご迷惑をおかけしただけという話。許して……いただけますか?」
「許す! 廃部さえ無いなら全然オッケー!」
わーいと無邪気に喜ぶ弾に、椎奈がクスリと微笑んだ。
その笑顔に顔を赤くした弾はしみじみと思う。普段見せない笑顔の不意打ちは、こんなに攻撃力が高いのか、と。
「あの、それでもう一つお聞きしたいことが…」
「う、うん。何々?」
椎奈がコソッと弾に耳打ちする。それを聞いた弾は思わず笑みをこぼした。それは新しい友人ができることを確信したような、そんな笑みだった。
河童が川を行く。台風の影響も既に無く、元の清流に戻った故郷を気持ち良さそうに泳いでいる。
しばらくして、甲羅干しのためにお気に入りの岩に上がった河童は、そこに置かれたビニール袋を見つけた。
『カッパさんへ』と書かれ、お礼の言葉が綴られた手紙付きの袋の中には、見事なきゅうりが山盛り入っている。
顔を上げると、遠ざかって行っていた黒髪が、気づいてこちらに一礼した。手を振ってそれを見送る河童。
やがてその姿が見えなくなる。河童はもらったきゅうりをのっそりと取り出そうとして、もう一枚手紙があることに気が付いた。同じく礼が書いてあるそちらからは、長く親しい自分の友人の気配がした。
二つの手紙が一緒に届けられた意味を思い、カッパは満足げに頷いてきゅうりを齧り
美味しい、とばかりにクワ~っと大きく鳴いた
(おしまい)